とんぬーらさんの好きなこと

明日死んでもいい様に今日を楽しく生きる

オヤジが亡くなったこと

8月のある日、朝6時35分に目が覚め、リビングで水を飲んで「ジムでも行こうかなぁ」と、思っていた時、電話が光った。家の電話は夜22時から朝8時まで着信音が鳴らない。電話の相手はオフクロだった。

「お父さんが、亡くなった。」

そっか、亡くなったかぁ。このとき、死因はわからなかった。オヤジは、30年以上、原因不明な病気で入院していた。詳しいことはかけないが、症例が非常に珍しいらしく、また治療方法がないため、入院処置となっていた。

ここからは結構自分語りなので興味が無い方は飛ばしてくれ。

オヤジは、この病気になって5年目ぐらいだっただろうか?一時期回復傾向が見られたので自宅療養になった時期がある。しかし、半年後何一つ自分の思い通りに動かないことを目の当たりにして、自死を選んだことがある。幸いにも傷は致命傷にならず、命は無事だった。当時、初めて担当した大型プロジェクトのプロジェクトマネージャーとしての正念場を迎えた時だった。上司に3日、休みがほしいとお願いしに行ったときに包み隠さず話をした。

「すぐに休んで帰りな、おまえなら仕事を選べる、だけど家族は選べない。選べないものと選べるものなら選べないものを選択しろ。」と言われて休みをもらって帰郷した。そういう意味では自分はいい上司を持った方だろう。ただ、とても残念なことはこの言葉を与えてくれた上司は、十数年前に自死してしまった。当然書けない大規模プロジェクトに関わった後ぐらいか。この人ぐらい強い人がなぜに?ということと、自分に語ってくれた言葉が忘れられない。オレが若い頃、いた業界は、プロジェクトの離任者数で健全さを図るとか狂った状態だった。「あのプロジェクトどうなの?」って上司に聞かれて「離任者が出てないからまだ健全じゃないですか?」と答える。「そういえばそうか。」みたいな会話が普通だった。20-30代に関わったプロジェクトは、本当に屍の上を越えていくようなものだった。前線から先に崩れる、前線を支援する上での兵站としてマネジメントが働く、戦場そのものだった。ちょっと死生観が狂ってるのかもしれないと正直思うことが有る。

そんな思いを持ちつつ、帰郷。オフクロの知人に葬儀社の方がいて、すべてお任せレベルの感じで本当に段取りの良さに脱帽した。あと、会社関係の花束がそろっているのには驚いた。親類縁者も高齢でなかなか参列も難しいだろうということで家族葬という体裁を取ったものの、オヤジ、オフクロの人柄なのか思った以上の方がお越しいただいた、ありがたいことだ。30年以上お会いしていない方にお会いした。そういう意味では死は人と人とのつながりを確認する場かもしれない。

哲学を囓ったことがある人間として、死とはなにかという点について様々な考えに触れた。ハイデガーは、人間の存在自体が死であるとも定義している。そうだ、生きる以上、必ず来るのが死である。言い方を変えれば、日々死に向かって生きているわけだ。なので、いつ来るだろうか?というものでもあり、そういう意味ではそうかこの日が来たのだと思う。

30年間、お疲れ様でした。死後の世界がどういうものか分からないけど、ゆっくりしてください。中卒でたたき上げだった貴方から学んだことは、良くも悪くも身についていると思ってます。指先だけで仕事をする貴方の様な器用さは残念ながら持ち得ていませんが、強さだけは十分に着いたと思います。貴方にとって私が、出来がいい息子だったかはわかりません。でも、家族を持ち、自分の好きなことをしてそしていつ死が来てもいいように日々過ごしています。

子供の頃、連れて行ってもらった記憶がある久住高原へ、家族で行ってきました。どこかは特定できないですが、たぶん、この辺はよく行ったよね?的な場所です。間違っていたらごめんなさい。とても、いい風景だったので貼って置きます。